大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和52年(行ウ)25号 判決

原告

中外電気工業株式会社

右代表者代表取締役

田中靖一

右訴訟代理人弁護士

高島良一

右訴訟復代理人弁護士

太田真人

被告

中央労働委員会

右代表者会長

平田冨太郎

右指定代理人

大宮五郎

(ほか四名)

参加人

総評全国金属労働組合富山地方本部

右代表者執行委員長

中野助二

右訴訟代理人弁護士

小池貞夫

(ほか五名)

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

1  原告を再審査申立人、参加人を再審査被申立人とする中労委昭和四九年(不再)第四七号事件について、被告が昭和五一年一二月一五日付でした別紙命令書(略)(以下「命令書」という。)記載の命令(以下「本件命令」という。)のうち、原告の再審査申立を棄却した部分を取消す。

2  訴訟費用は、被告の負担とする。

二  被告及び参加人

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  本件命令

参加人は、富山県地方労働委員会に対し、原告を被申立人として不当労働行為救済の申立をしたところ、同委員会は、昭和四九年一〇月一日付で次の命令(以下「初審命令」という。)を発し、右命令書の写は、そのころ、原告に交付された。

1 被申立人は、本命令交付の日から一五日以内に下記の誓約文を申立人組合に手交し、同誓約文を縦一・五m横二mの白色木板いっぱいに墨書し、被申立人富山工場正面入口の従業員に見やすいところに一〇日間掲示すること。

誓約書

柴田昭取締役が、貴支部執行委員長に対し貴組合から脱退するよう示唆したこと、川合敏雄富山工場総務部長が、吉田誠二福光地区労議長に対し貴組合からの脱退を依頼したこと、江口勝正富山工場労務部長が、長谷川秀子に対し就業規則の暗記を命じ、また朝礼において貴支部組合員に対し刺激するような言辞を繰り返して嫌がらせをしたこと及び山根忠雄工場長が、守衛に命じ貴支部組合員の勤務状況をフラッシュ撮影させて嫌がらせをしたことは、貴組合に対する支配介入行為でありました。

また、団交時の賃金カットをめぐる労働協約締結について、中外電工富山工場労働組合と差別取扱いをしました。

今後、このような不当労働行為を繰り返さないことを誓約します。

昭和 年 月 日

中外電気工業株式会社

代表取締役 田中靖一

全国金属労働組合富山地方本部

執行委員長 大坪豊吉殿

2  申立人のその余の請求は、これを棄却する。

原告は、初審命令を不服として、被告に対し再審査の申立をしたところ、被告は、昭和五一年一二月一五日付で、

1 初審命令主文第1項の誓約書中「長谷川秀子に対し就業規則の暗記を命じ、また」を取消す。

2 その余の再審査申立を棄却する。との本件命令を発し、右命令書の写しは、そのころ、原告に交付された。(以下、当事者等の表示は、命令書理由「第1 当委員会の認定した事実」欄に記載されている略称による。)

2  本件命令の違法性

(一) 本件命令は、参加人が本件不当労働行為救済の申立をする資格要件を欠くものであるにもかかわらずこれを看過して、初審命令を維持した点において違法である。

地本と支部とは、昭和四七年八月九日、会社との間に、「組合用務についての外出休業については公休扱いとする」との協定を締結している。右協定は、労働時間中に組合活動を行なっても会社は欠勤扱いをしない旨を定めたものであって、労働組合法二条但書二号にいう便宜供与に該当するから、地本が本件不当労働行為救済の申立をする資格要件を欠くことは、明らかである。

(二) 本件命令は、〈1〉柴田取締役が松本に対し支部を全金から脱退させるよう示唆したこと、〈2〉川合総務部長が吉田に対し支部の全金からの脱退を依頼したこと、〈3〉江口労務部長が朝礼において組合員に対し刺激する言辞を述べたこと、〈4〉山根工場長が守衛に命じ組合員の勤務状況を写真撮影させたこと及び〈5〉団交時の賃金カットをめぐる労働協約の締結について組合を新労と差別したことはいずれも組合に対する支配介入であり不当労働行為に該当すると判断して、初審命令を維持したが、これは事実の認定及び法令の適用を誤った点において違法である。

(三) よって、本件命令の取消しを求める。

二  請求原因事実に対する被告及び参加人の認否

1  請求原因第1項(本件命令)の事実は認める。

2  同第2項は争う。

《以下事実略》

理由

一  本件命令

請求原因第1項の事実は、当事者間に争いがない。

二  不当労働行為救済申立要件に関する原告の主張について

原告の主張するところは、地本は、労働組合法二条の要件を欠き、同法に規定する不当労働行為の救済手続に参与する資格を有せず、その救済を受けることができないにもかかわらず、本件命令は、これを看過して初審命令を維持し、地本に対し、不当労働行為の救済手続に参与することを認め、その救済を与えたものであるから、瑕疵ある行政行為として違法であり取消しを免れない、というにある。

ところで、労働組合法五条は労働委員会に対して同法二条及び五条二項の要件を欠く組合の救済申立を拒否すべき義務を課しているものであるが、右義務は、労働委員会が直接国家に対し負う義務にほかならず、被申立人たる使用者に対する関係において負う義務ではないと解するのが相当である。したがって、仮に資格審査の方法ないし手続に瑕疵があり又は審査の結果に誤りがあるとしても、使用者は、そのことにより何ら法律上の利益を害されるものではなく、本件命令の取消訴訟において、自己の法律上の利益に関係のない右瑕疵を理由としてその取消しを求めることはできないものといわなければならない。

よって、原告の右主張は失当である。

三  不当労働行為に関する主張について

被告は、(1)柴田取締役が松本に対し支部を全金から脱退させるよう示唆したこと、(2)川合総務部長が吉田に対し支部の全金脱退についての支援を依頼したこと、(3)江口労務部長が朝礼において支部組合員に対しこれを刺激する言辞を述べたこと、(4)山根工場長が守衛に命じ支部組合員の勤務状況を撮影させたこと及び(5)団体交渉時の賃金カットをめぐる労働協約の締結について組合と新労との間に異なる取扱いをして組合を不利益に取扱ったことはいずれも組合に対する支配介入であり、右各行為が不当労働行為に該当するとした被告の認定判断は正当である旨主張し、原告は、被告の右認定判断が誤りであると反論している。

そこで、以下、まず総括的に事実関係について認定し、次いで各行為が不当労働行為に該当するかどうかについて順次検討する。

(事実関係)

1  当事者等

(一) 原告は、肩書地(略)に本社を置き、富山、神奈川及び東京に工場を有して、主として電気器具の接点の製造を業とする会社で、その従業員数は再審査結審当時約四〇〇名であり、富山工場は右当時約一一五名の従業員を擁している。

(二) 参加人は、富山県内の金属関連産業に働く労働者の個人加入により昭和三六年五月二八日結成された単一組織の労働組合で、事業所ごとに支部を設け、再審査結審当時一四支部、組合員数約二二〇〇名で組織されている。

以上の事実は当事者間に争いがない。

2  富山工場における支部の結成と地本への加入

(一) 命令書理由「第1 当委員会の認定した事実」欄(以下「命令書事実欄」という。)2(1)(昭和四七年七月以前の労働組合の状況と労働条件)記載の事実中、「従業員が賃金以外の時間外労働、有給休暇、生理休暇及び労災事故の取扱いについて不満を持っていた」との部分を除いた事実は、当事者間に争いがなく、右事実に、(証拠略)を総合すれば、次の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

会社は、昭和三八年七月、福光町工場誘致条例に基づき富山県西砺波郡福光町坂本に富山工場を設置した。同工場においては昭和四〇年二月三日中外電気工業労働組合(「旧労」)が結成され、富山地方同盟に加盟していたが二年余りで脱退し、その後は毎年一回役員改選を行なう程度で、積極的な組合活動は行なっていなかった。昭和四七年当時、会社は従業員に対し福光地区の工場協会の資料を参考にして同地区の事業所の従業員の平均程度の賃金を支給していた。

(二) 命令書事実欄2(2)(旧労再建の動き)ア記載の事実は当事者間に争いがなく、右事実と、(証拠略)を総合すれば、次の事実が認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(1) 昭和四七年七月二二日(土曜日)、富山工場での朝礼において、田部井茂富山工場長が、同年の夏季一時金について、前年と同様二か月分を支給することを発表した。

(2) 田部井工場長の右発言に対し、従業員の間には、夏季一時金の支給額が、前年、前々年と同額で、福光地区の既に夏季一時金を支給済みの他事業所の支給額と比較して低額であることへの不満が広がった。同日終業後、従業員約八〇名は、夏季一時金提示額等についての不満から、福光町の八幡宮で集会を開いて、会社の夏季一時金提示額に対する対応策等を協議したが、従業員のひとりである稲村幸夫が連れて来た福光地区労の役員から、旧労の再建ないし新組合結成について検討する必要がある旨の発言があった。そこで、同月二四日(月曜日)の終業後八幡宮の隣りにある福祉会館で再び集会を開くことを決めたのち、稲村及び松本洋一ほか数名が前記集会に出席した従業員の代表者として、さらに、地区労の役員をまじえて、福祉会館に場所を移して、今後のとりくみ方を協議し、その結果、二四日の集会において組合の再建ないしは結成を行なうことが決定された。

(三) 命令書事実欄2(3)(会社の夏季一時金対策)記載の事実中、七月二三日田部井工場長が川合総務部長と相談し班長以上の職制を同部長宅に集めることにしたこと及び同日同部長宅にイ記載の者が集まったことは当事者間に争いがなく、右事実に、(証拠略)を総合すれば、次の事実が認められる。(証拠略)のうち右認定に反する部分は措信できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(1) 同年七月二三日(日曜日)、金田享于富山工場製造部長は、川合敏雄同工場総務部長に電話で前記従業員の動勢を報告し、さらに、川合総務部長は、右内容を田部井工場長に電話で連絡した。同日正午ごろ、田部井工場長が川合総務部長宅を訪問し、田部非、川合の両名は、次いで川合宅を訪れた金田製造部長をまじえて相談した結果、班長以上の職制を川合宅に集めることにした。

(2) 同日午後四時ごろから川合総務部長宅に集まった者は、田部井工場長、川合総務部長、金田製造部長をはじめとして、班長以上の職制である伊藤矩夫、鵜野秀夫、中山宏、吉田利久、武田富治、安谷実、藤井巽、松居敏夫、塚田征次、中山秀雄、渡辺、本田、窪田ら約二〇名であった。これらの者のうち、中山宏は旧労の執行委員長、吉田は同副委員長であり、武田、安谷、藤井、松居及び塚田は旧労の執行委員であり、旧労の執行部は全員この日川合総務部長宅に集まっていた。

(3) 席上、田部井工場長及び金田製造部長は、右職制に対して、従業員の間に労働組合を再建ないし結成して全金に加入しようとする動きがあると聞いているので各職場において従業員の組合結成の動きを抑えてほしい旨を述べ、さらに、翌二四日(月曜日)には工場の始業前に各自自分の部下の自宅を訪問して組合結成を思いとどまるように説得にあたること、同日は就業時間に食い込んでもよいから集会を開いて組合結成をやめさせることを要請した。中山宏以下、同席していた旧労の執行部は、右発言に対し夏季一時金の支給金額の上積みなしでは従業員の動きを制止することはできないと述べて、旧労執行部のみで川合宅の別室に別れて夏季一時金上積みについて協議を行なったうえ、田部井工場長に夏季一時金増額を要求した。田部井工場長は、東京の田中靖一社長と電話で協議した結果、夏季一時金の増額はできない旨回答した。

(4) 川合宅に集まった職制は翌二四日午前二時ごろから同人宅を辞して帰途についたが、武田、安谷、藤井、松居及び塚田は、付近の河原の堤防上で、旧労執行部として右要請にどう対処するかについて約三〇分間相談し、家庭訪問による従業員の説得については夏季一時金増額がない以上応じられないが、同日中に旧労の臨時大会を開いて組合結成の動きを抑えることを決めた。

(四) 命令書事実欄2(4)(旧労の臨時大会)記載の事実中、七月二四日、始業時から富山工場の食堂において旧労の臨時大会が開かれ、執行部が辞任して役員改選が行なわれた結果、執行委員長に稲村が、副委員長に松本がそれぞれ選出されて午前中に右大会が終わったこと及び同日昼の休憩時間に田部井工場長が稲村と会ったことは、当事者間に争いがない。命令書事実欄3(1)(旧労再建大会)記載の事実、並びに、同3(2)(支部結成)記載の事実中、再建大会で全金加入の決議が行なわれて支部が結成され、旧労の役員が支部役員となったこと、右結成時の支部組合員数が男子一七名、女子六八名であったこと及び七月二五日組合が田部井工場長に対し右の旨を通知したこともまた、当事者間に争いがない。当事者間に争いのない右各事実に、(証拠略)を総合すれば、次の事実が認められ、(証拠略)のうち右認定に反する部分は措信できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(1) 同年七月二四日(月曜日)早朝、前記川合総務部長宅での集会に出席した旧労執行部以外の職制のうち何人かは、工場始業前に部下の自宅を訪れて、従業員の間の労働組合結成の動きに参加しないようにとの説得を行なった。

(2) 同日、始業時から、富山工場の食堂において、旧労の臨時大会が開かれた。中山宏、松居、藤井ら旧労執行部は、食堂に集まった従業員に対し、富山工場には労働組合が現在既にあるのだから新たに労働組合の結成を考える前に不満があれば執行部に申出る等して現在の旧労を通じて解決してほしい旨要請した。右発言に対し、松本洋一、堀田一雄らの従業員は、従来の旧労の運動方針を非難して、会社と旧労執行部との癒着についての責任追及を行なったため、結局、旧労執行部は、その場で全員辞任した。その後、右集会において役員改選が行なわれ、執行委員長に稲村が、副委員長に松本が、それぞれ選出され、正午ちかくに右集会は終わった。なお、右集会以前には会社が就業時間内の組合集会を認めた例はなかったが、右集会においては、工場内の放送設備を利用したうえ、各班長みずからが職場内をまわるなどして従業員の集会への招集が行なわれており、集会の開催時間についても、当初始業時から午前一〇時までの予定だったのが、二度にわたって田部井工場長の了承を得たうえで時間の延長を行ない、結局、同日午前中いっぱいを右集会のために費やしている。

(3) 同日、昼の休憩時間に、田部井工場長は、執行委員長就任のあいさつに来た稲村を同工場二階の休憩室に招き入れて、「君も年をとっていることだから。」と述べて、暗に同人に対し組合活動をさしひかえるべきことを示唆した。工場長の右意図を感じとった稲村は、同日夕刻福祉会館で行なわれた後述の集会には定刻に参加せず、遅れて会場にあらわれたものの途中で帰宅した。

(4) 同日、午後六時ごろから、富山工場の従業員約九〇名は、七月二二日の八幡宮における集会での決定に従って、予定どおり集会を開くため、福祉会館に集まった。右集会においては、同日午前中の旧労の臨時大会開催についての疑念及び午前中の大会で執行委員長に選ばれた稲村が福祉会館に姿を見せていなかったことへの不信から、再度役員改選が行なわれた。その結果、執行委員長に松本が、副委員長に前川良成及び一村洋子が、書記長に広川幸一郎が、それぞれ選出された。

(5) 役員改選後、右集会に来ていた地本の武田利雄書記次長及び県労協の水野勲オルグが、右集会出席者に対し、全金についての説明と熱心な加入勧誘を行ない、全金加入についての無記名投票が行なわれた結果、全金加入の決議が採択されて、支部が結成された。右集会で選出されていた前記各役員は、引き続き支部役員として同一の役職にとどまることになった。なお、この集会で地本に加入し支部組合員となった者は、男子一七名、女子六八名であった。

(6) 翌七月二五日、県労協、地区労、地本、支部の各役員等約二〇名は、午前九時ごろに富山工場に赴いて、同工場二階会議室において、田部井工場長及び川合総務部長に対し、同工場従業員のうち多数が地本に加入して支部を結成したことを通知するとともに、七月二四日午前中に工場食堂で開かれた旧労の臨時大会は会社が支配介入して開催させたものであると非難した。その結果、会社と組合の間に確認書がとりかわされ、会社は、支部が同工場における唯一の労働組合であることを認め、七月二四日・午前中の集会については賃金カットを行なわないことを約した。

(五) 命令書事実欄3(3)(一部従業員の動き)記載の事実中、八月五日ごろ高岡市大野屋旅館でイ記載の者が会合したこと及び昭和四八年一月ころ松居ら約三〇名が地本に加入したことは、当事者間に争いがなく、右事実に、(証拠略)を総合すれば、次の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(1) 同年七月下旬から八月上旬にかけて、松居、堀田、藤井、中山宏、高桑慶宣、鵜野秀夫、窪田らの班長、主任等が中心となった約二〇名の従業員が、支部に対抗して第二組合を結成しようとして、湯谷温泉や高桑宅に集まって相談した。

(2) 同年八月五日、高岡市の大野屋旅館において、会社の田中靖一社長、柴田昭取締役、山根忠雄監査役、田部井工場長、川合総務部長、金田元製造部長(昭和四七年七月三一日付で本社技術部に異動したが、引継ぎ業務のため富山にいた。)ら会社幹部と、中山宏、藤井、吉田俊雄、堀田、高桑、稲村ら第二組合を結成しようとしている従業員とが会合した。右席上、中山宏らが第二組合結成の意向を伝えたところ、田中社長は、気持はうれしいが今は控えておいてもらいたい旨話した。

(3) 同月七日、第二組合結成への動きを察知した組合は、松居ら第二組合を結成しようとした従業員二〇名との間で、今後別組織を作るような行為をしない旨の確認書を作成した。なお、翌昭和四八年一月ごろ、上記松居ほか約三〇名の従業員は、地本に加入し、支部組合員となった。

3  昭和四八年春闘と地本脱退決議をめぐる紛議

(一) 命令書事実欄4(1)(昭和四八年春闘の経緯)記載の事実中、ア、ウ、エ、オ、カ、ク、ケ記載の各事実、四月一六日午後一〇時すぎ松本が伊藤課長とイ記載の経過を経て会談したこと及び四月二二日午前一一時ころから約一時間にわたり柴田取締役と松本が伊藤課長立会いのもとに会談したことは、当事者間に争いがなく、右事実に、(証拠略)を総合すれば、次の事実が認められ、(証拠略)のうち右認定に反する部分は措信できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(1) 昭和四八年四月上旬、会社は富山工場に設置してあった二台の熱間押出機のうちの一台(一三〇〇トンのもの)を、モーターが五〇ヘルツ用に製造されており富山工場での六〇ヘルツの電流では順調に作動しないことを理由として、トラック数台を用いて同工場から搬出し、神奈川工場へと移動した。当時、富山工場では生産が注文に追いつかず納期遅れの状況を呈していたところ、製品の納期遅れに伴なうキャンセルについて興信所から信用調査の電話が工場にたびたびかかってきたり、得意先の人間が納期遅れの製品を工場まで取りに来たりしていたことから、右状況のもとで機械の搬出が行なわれたことで、同工場の従業員の間には、富山工場の将来の存続についての不安が広がっていた。

(2) 同年四月一六日、午後九時ごろ、伊藤矩夫富山工場製造技術課長は、支部執行委員長松本洋一宅を訪問したが、同人が不在だったため、同人の母に折り返し電話をくれるようにとの松本への伝言方を依頼して帰った。午後一〇時ごろ帰宅した松本は、伊藤課長の来訪を知ったが、自宅には電話がなかったことから、隣宅である地区労事務局次長の大門宅に赴いて、同人宅からまず支部書記長広川に、次いで同副委員長一村に、それぞれ電話をして伊藤課長宅の電話番号を尋ねたうえ、同課長に電話をかけたところ、同課長は松本に対し同課長宅で会談したい旨を述べた。松本が同課長宅へ赴いたところ、同課長は、松本に対し、春闘における組合の賃上げ要求に対し会社は翌一七日以降の団体交渉においても回答額に一切上積みをしない旨を述べて組合の対処方法を尋ねた。

(3) 翌四月一七日、春闘要求について会社と組合の間で団体交渉が行なわれたが、席上、会社側は従来の回答額一人平均八八〇〇円を譲らなかった。

(4) 同年四月一八日ごろ、松本は、伊藤課長に対し電話で、今回の機械の移動に関連して富山工場の存続についての会社の考えをただし組合及び労働協約遵守についての会社の考えをききたいので、社長またはそれに代わる会社幹部と会いたい旨を述べた。

(5) 伊藤課長は、松本の右希望を山根工場長(同人は、昭和四八年二月一日、田部井工場長の後任の富山工場長として着任していた。)に伝えたうえ、同年四月二〇日、本社で行なわれた技術関係の会議に出席したおりに、柴田取締役(同取締役は、同課長がかつて東京で勤務していたときの上司であった。)に対し松本の希望を伝え、同取締役から松本との会見についての承諾を得て富山工場へ帰任した。なお、柴田取締役は、技術・製造担当の取締役で、当時、本社製造本部長の職にあり、富山工場の従業員は松本も含めて、同取締役を会社において社長に次ぐ地位にある副社長と考えていた。

(6) 同年四月二一日、大阪に滞在していた柴田取締役は、同地から富山工場の伊藤課長に電話連絡を行ない、大阪からの帰路金沢へ下請け会社を探しに行く仕事があるがその際若干時間に余裕があるので翌二二日午前一〇時に石川県金沢市所在の金沢グランドホテルにおいて松本に会ってもよい旨述べた。伊藤課長は、松本宅に赴き、松本に対して、柴田取締役が右日時場所において松本との会談に応じる用意のあることを伝えた。

(7) 翌四月二二日午前一一時ごろから約一時間にわたり、柴田取締役と松本は、金沢グランドホテルにおいて、伊藤課長の同席のもとに会談した。なお、山根工場長もまた右会談当時同ホテルを訪れていたが、柴田取締役の判断により右会談に同席することは差し控えていた。会談の席上、松本が、富山工場からの押出機の搬出等に関連して富山工場の将来の存続についての本社の考えをただすとともに会社の労働組合観や会社には組合との間で締結されている協約を今後も遵守していく考えがあるか否か等を尋ねたのに対し、柴田取締役は、会社としては富山工場を今後も存続させていく考えであり新しい仕事を同工場にもってくる計画もあること、労働協約については工場長が今後も遵守していく考えであること等を述べたが、その際、「ストライキのため得意先への納期遅れが生じて注文も減少している。」「得意先も会社も全金を嫌っており、このままでは注文もなくなり、富山工場は他工場の下請けのような形で生かさず殺さずの状態になる。」「全金をぬければ、富山工場は注文も増え、それに応じて工場設備も改善されて繁栄する。」などと述べて、松本に対して、支部が全金を脱退すれば会社もこれを歓迎する旨を示唆した。

(8) なお、松本は、柴田取締役との会談にあたっては、事前に支部執行部に諮ったり他の組合員に知らせたりすることなく、自分ひとりの判断によってこれを行なった。

(9) 右会談後に、山根工場長は、柴田取締役に対し、富山工場の従業員が同工場の将来について不安を感じているので、これを解消させるため同工場へ来て今後の方針等について話をしてもらいたい旨依頼した。そこで、柴田取締役は、翌四月二三日、富山工場を訪れ、同工場の主任以上の職制及び支部執行部に対し、富山工場の将来の問題については、機械を一部神奈川工場へ移動したが他の仕事もあるので富山工場の存続について心配する必要はない旨、及び、興信所や得意先からの納期督促などの問題については、多量の注文に応じた生産体制がとれなかったことから納期遅れが生じたが、電話での応答内容によっては興信所や得意先に無用な不信感を与えるおそれがあるので注意して応接してもらいたい旨説明した。

(10) 同年四月三〇日、富山工場において、会社と組合の団体交渉が行なわれたが、右席上、会社側は、一人平均一万五〇〇〇円の回答を提示して、右額で組合と妥結した。

(11) 同年五月二〇日、午後二時ごろから同三時三〇分ごろにかけて、松本は、支部執行委員湯浅憲昭宅に同副委員長一村及び同代議員宮崎千代子を呼び、同年四月二二日に柴田取締役と金沢で会談した事実を報告し、右会談における柴田取締役の発言として「会社も得意先も全金を嫌っている。」「このままでは富山工場は生かさず殺さずの状態になる。」「全金をぬければ富山工場は栄える。」等の内容の話があった旨を述べたうえ、「全金をぬけて、神奈川、五箇山の工場と一緒にひとつの組合をつくろう。」「組合員のためにも会社のためにも全金を脱退してくれ。」と述べて、地本からの脱退に協力してくれるよう依頼した。また、松本は、右の際、宮崎に対し、女性組合員の間に影響力を持つ支部執行委員山田千晶を説得して女性組合員の票二五票を確保してくれるよう依頼した。しかし、宮崎は、山田を説得する自信がないといって、松本の右依頼を拒絶した。なお、同年五月下旬から六月初めにかけて、松居、藤井、広川らが、個々の支部組合員に対して、全金脱退へ向けての説得を行なっている。

(12) 同年六月一日、午後五時三〇分ごろから同七時ごろにかけて、春闘の総括と夏季一時金要求の方針について、支部代議員会が開かれた。右席上、松本は、突然、同年四月二二日に金沢市内で柴田取締役と会談した事実について報告を始め、右会談で柴田取締役から「得意先は全金を嫌っており、その点は会社も同じである。」「仕事についても全金に入っていては将来性はない。」旨の発言があったが松本自身も同じ考えであると述べ、つづけて、「このまま全金に入っていれば富山工場はなくなってしまうだろう。」「会社をとるか全金をとるか皆に諮ってみてくれ。」「全金をぬければ富山工場は栄えるだろう。」などと発言した。松本は、さらに、翌六月二日は午後から地本の役員が支部を訪れる予定であるから、同日午前中に支部臨時大会を開いて地本からの脱退問題を決定しようと提案し、代議員会で了承された。

(二) 命令書事実欄4(3)(地本脱退決議)記載の事実中、六月二日始業時から正午ころまで富山工場食堂で支部臨時大会が開かれ、右大会で地本脱退決議がされたことは、当事者間に争いがない。命令書事実欄5(1)(地区労との合同会議)記載の事実中、イ記載の事実、並びに、六月二日終業後合同会議が行なわれたこと及び同日午後一〇時ころ川合総務部長が富山工場二階会議室で吉田地区労議長と話しをしたこともまた、当事者間に争いがない。当事者間に争いのない右各事実に、(証拠略)を総合すれば、次の事実が認められ、(証拠略)のうち右認定に反する部分は措置できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(1) 同年六月二日、支部執行部は、山根工場長が富山工場に不在がちであることを抗議してストライキを行なうと称して組合員を同工場食堂に招集したうえで、始業時から正午ごろまでにかけて、松居を大会議長にして支部臨時大会を開催した。右席上、松本は、代議員会の報告として、「会社も得意先も全金を嫌っている。」「地本に加盟していれば会社の将来性もなくなる。」「会社をとるか全金をとるか選択してほしい。」と発言し、さらに、「七月の定期大会を迎えるにあたって執行部は皆やりたくないといっているが、全金を脱退するなら執行部は責任を持ってやり続ける。」と述べて地本脱退の提案が容れられない場合には執行部は辞任する場合もありうることを示唆した。松居、広川、湯浅憲昭、石崎芳春らは、松本の右提案を支持して、「全金をぬけても他の工場と一緒に組合を結成してやっていける。」等の発言をし、一村、山田、湯浅芳子、上坂みちよらの女性執行委員も、女性組合員だけでの組合運営は不可能である以上男性組合員らが脱退したいというのならこれに従うほかはないという態度であった。松本らは、組合員の不安を解消するため、全金を脱退した場合でも今まで会社との間で締結された労働協約や労働条件についての合意等は遵守されると説明し、「午後からやって来る地本の役員と話し合ったうえで結論を出そう。」という発言に対しては、「午前中に態度をはっきり決めよう。」と述べてこれを制した。無記名投票が行なわれた結果、出席組合員数約一〇〇名中、脱退賛成約七十数票、反対・白票約二十数票で、地本脱退決議が採択された。

(2) 同日、正午すぎに富山工場を訪れた地本の大坪豊吉執行委員長、小原耕三書記長、武田書記次長らは、午前中の支部臨時大会で地本脱退決議が採決された旨を聞かされて驚き、「脱退の理由がわからない。もう一度、皆の意見が聞きたい。」と支部執行部に再度の検討を要求した。同日終業後、同工場内の支部組合事務所において、前記地本役員らと支部執行部(松本は欠席)に、知らせを聞いて夕刻同工場に駆けつけた福光地区労の吉田誠二議長、麦谷副議長を加えて、地本脱退決議の取扱いについての三者合同会議が開かれた。右会議の席上、地本役員らは支部執行部を強く説得し、同日午後九時ごろになって、支部執行部は、地本脱退決議の履行を当分の間留保すること及び同年六月四日に支部臨時大会を開いてこれを付議することを決定した。なお、地本脱退決議が採択されたことについては、組合から会社に対する通知は行なわれていない。

(3) 同日、午後七時ごろ、三者合同会議の席から用便に赴いた吉田地区労議長は、富山工場の廊下で、偶然、川合総務部長と出会った。二人は、それまで言葉をかわしたことはなかったが互いに面識はあったので、当日の支部の地本脱退決議の問題について立話をした後、二階会議室において、お互い地元福光町出身の人間であり、地元の産業発展のためにも、会社の労使関係について話し合いのパイプをつないでおこうという話を約一〇分間程度行なって別れた。

(4) その後、川合総務部長は、富山工場の守衛に対して、三者合同会議からの帰りには川合部長のところまで立ち寄ってほしい旨吉田議長への伝言方を依頼した。午後一〇時ごろ守衛から右伝言を聞いた吉田議長は、地本役員や麦谷副議長と相談のうえ、同一〇時二〇分ごろ、工場の川合総務部長のもとを訪れた。川合部長は、吉田議長を二階会議室に招き入れたうえ、「下でどんな話があったのか。」と述べて、合同会議の様子を尋ねた。吉田議長が、「地本はいきまいている。会社が脱退に手をかしているという非難もある。」と述べたところ、川合部長は、かつて福光地区の三光合成樹脂の組合が地本脱退の際に手切金を要求されたと聞いていると述べて、同議長に対し、「三光合成はいくらとられたのか。」「今回は手切金はいくらくらいになるのか。」等を尋ね、支部が支払い不能な金額であれば会社が支払う旨を告げたうえ、吉田議長の所属する福光地区の太平株式会社の労働組合が企業内組合で県労協、地区労に加盟しているだけであったことから、「うちの組合も太平と同じような組合にしたいのでよろしく指導してほしい。」と、支部の地本脱退を援助してもらいたい旨依頼した。

(三) 命令書事実欄5(2)(地本脱退保留決議)記載の事実中、六月四日午後零時三〇分から三時ころまで支部臨時大会が開かれ地本脱退決議の履行が保留されたことは、当事者間に争いがない。命令書事実欄5(3)(地本脱退破棄決議)記載の事実中、ア、イ記載の事実、並びに、六月一二日終業後支部臨時大会が開かれ地本脱退決議が破棄されたこと及び右大会で松本が支部執行委員長を辞任し前川が支部執行委員長に選出されたこともまた、当事者間に争いがない。当事者間に争いのない右各事実に、(証拠略)を総合すれば、次の事実が認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(1) 同年六月四日、午後零時三〇分から同三時にかけて、富山工場食堂において、六月二日の三者合同会議の結果に基づいて支部臨時大会が開催され、会社の将来の生産計画を今後団体交渉の席上で明らかにしていくこと、夏季一時金要求を継続していくこと等の事項とともに、三者合同会議における決定の通り地本脱退決議の履行を当分の間留保することが承認された。

(2) 同年六月一一日、組合が全金、地本及び支部の三者連名による夏季一時金要求書を山根工場長に提出したところ、同工場長は、支部が地本を脱退したと聞いているので三者連名の夏季一時金要求書は受取れないとして、受領を拒否した。翌六月一二日、午後三時ごろ、地本の大坪執行委員長、小原書記長及び武田書記次長が、山根工場長と夏季一時金要求書受領拒否について折衝を行なったところ、山根工場長は、支部が地本に加入していることがはっきりすれば三者連名の要求書を受領する旨話した。

(3) 同日、終業後、地本脱退問題について支部臨時大会が開かれ、投票の結果、地本脱退決議が破棄された。その際、松本が組織を混乱させた責任をとるとして支部執行委員長を辞任したため、役員改選が行なわれ、前川が支部執行委員長に選出された。

4  新労の結成と労働協約の締結

命令書事実欄6(1)(新労結成)ア、ウ記載の事実中、松本らが支部を脱退し新労を結成した理由を除いた事実及び同6(2)(新労との労働協約)記載の事実は、当事者間に争いがない。当事者間に争いのない右各事実に、(証拠略)を総合すれば、次の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)(1) 昭和四八年六月一二日の支部臨時大会以降、松本をはじめとする主任以下の男子従業員約二〇名と、女子従業員約一〇名が、地本・支部から脱退した。

(2) 同年九月一四日、終業後、松本ら地本・支部から脱退した従業員らが集まり、非組合員は夏季一時金支給に際して支部組合員と比べて差別されておりこれを防御する必要があるとして、中外電工富山工場労働組合(「新労」)を結成した。そして、新労の執行委員長に松本が副委員長に藤井及び石崎が、書記長に堀田が、執行委員に広川、松居らがそれぞれ選出された。

(二)(1) 同年九月一八日、会社と新労は、労働協約を締結した。労働協約の内容は、大部分組合と会社との間に締結されている労働協約と同一のものであったが、そのなかには、組合との間の労働協約にない、就業時間中の団体交渉に関して定足数以内の団交出席者については賃金カットを行なわない旨の条項があった。

(2) 組合は、会社に対し、新労と会社の間に締結された右労働協約と同一内容の労働協約を、組合との間にも締結するよう要求した。しかし、山根工場長は、新労とはじ後就業時間中に団体交渉を行なうつもりのないこと等を理由として組合の右要求を拒絶した。

5  昭和四八年年末一時金交渉をめぐる紛議

(一) 命令書事実欄6(1)(新労結成)イ記載の事実は、当事者間に争いがなく、右事実に、(証拠略)を総合すれば、次の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

会社は、富山工場において、労使関係が険悪化し、職場規律も乱れていることから、労務管理を正す必要があると考え、富山工場に専任の労務担当者を置くことにし、同年九月五日、社長の友人の江口勝正(昭和四八年三月五日採用)を、新しく設けた役職である富山工場労務部長に任命した。

(二) 命令書事実欄6(3)(昭和四八年年末一時金交渉をめぐる紛議)ア、イ、ウ記載の事実は、当事者間に争いがなく、右事実と、(証拠略)を総合すれば、次の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(1) 同年一一月一四日、組合は、午後二時五〇分から同四時五〇分まで、年末一時金要求のストライキを行なった。ストライキ中、組合は屋外で集会を行なっていたが、集会終了後午後四時五〇分までに若干の時間があったことから、長谷川秀子ら女子組合員約三〇名は、これら組合員のうち一部の者の職場である富山工場内の、管理センターに入り、労働歌を合唱した。当時、管理センター室内では、非組合員数名が執務中であり、江口労務部長は労働歌を歌うのは業務の妨げになるのでこれを制止しようとして注意した。しかし、女子組合員らは、午後四時五〇分ごろまで労働歌を歌い続け、なかには得意先と電話中の従業員の近くで歌う者もあった。

(2) 同年一一月一六日、午前一〇時一五分ごろから四〇分ごろにかけて、江口労務部長は、長谷川を労働歌合唱のリーダーであると判断し、同女に対し、執務中の室内で歌を歌うことは就業規則に違反するものであるとして就業規則の暗記を命じ、さらに暗記後テストを行なう旨述べた。長谷川は、江口労務部長のやり方に肉体的精神的に疲れ恐怖を覚えたとの理由を記載した休暇願を会社に提出し、同日午後から休暇をとった。

(三) 命令書事実欄6(3)(昭和四八年年末一時金交渉をめぐる紛議)エ、オ記載の事実中、一一月一五日から二一日にかけて毎日のように朝礼が行なわれたこと、並びに、右朝礼で江口労務部長がガードマンを導入する旨、誓約書の提出を求める旨及び個人面接を行なう旨の発言をしたことは当事者間に争いがなく、右事実に、(証拠略)を総合すれば、次の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(1) 同年一一月一五日から同月二一日にかけて、会社は、従業員の間に管理職の指示に従わず作業日報を提出しない等の行為が認められるため職場規律を確立する必要があるとして、従来毎週一回月曜日に一〇分間程度行なっていた朝礼を、毎日のように四〇分ないし一時間にわたって行なった。

(2) 同月一五日の朝礼は、午前八時四〇分から同九時二〇分まで四〇分間行なわれ、江口労務部長は、従業員に対し、

「きのう全金労の皆さんは、秋雨の降る肌寒い晩秋の風の吹く中でストをされました。どうしてあのようなことまでしてストをしなければならないのか、私は全金の皆さんの心が知れません。しかしながら、あの肌寒い空の下で一時間四〇分じっと耐えられたことには、敬意を表します。立派でしたな。」

「四十数名の女の方が職場へ入ってきて、私が制止したにもかかわらず大きな声で労働歌を歌って腕を組んで取り囲まれました。こういう姿は、良きお母さんであり立派な子を持つ母親の姿ではありません。このようなことをしているようなあなた方が、家庭に帰られて子供に立派なことを言う資格はどこにもありません。みにくいじゃありませんか。恥ずかしいことではありませんか。」

と、述べた。

(3) 同月一六日の朝礼は、午前八時四〇分から同九時二〇分まで行なわれ、江口労務部長は、従業員に対し、

「今、会社は重大な決意をしました。富山工場職制、幹部が努力してきましたが、その力が及ばないと判断して、会社では富山工場に三〇名のガードマンを入れます。状況に応じてもう三〇名入れます。それは状況に応じて六時間後に入れます。」

「法律的には、簡単に会社をつぶすことができます。このままでは、会社は自然消滅していくでしょう。職場の皆さんが親しくしていたのに、バラバラになるのは、さびしいでしょう。」

「それから、こういう朝礼は毎朝でもひらきます。皆さんは、一時間四〇分もストで立っている心がまえがあるのですから、私も、短かければ五分、長ければ半日、あるいはそれ以上になることもあるかと思いますが、やっていくつもりです。」

と、述べた。

(4) 同月一七日の朝礼は、始業時から約一時間行なわれ、江口労務部長は、就業規則で入社時に提出を義務づけられている労働誓約書(内容は、会社の諸規程の遵守、社風を重んじ会社の体面を保つなどを誓約するものである。)を、当時、従業員のうち約半数の者が提出していなかったことから、その提出を求め、「誓約書を出していない者は手をあげろ。」等、述べた。

(5) 同月一九日の朝礼は、午前八時四〇分から同九時四五分まで行なわれ、右席上、江口労務部長は、従業員に対し、当時組合員が管理職と廊下等で出会ってもあいさつをしなかったことをとらえて、

「おはようとあいさつしない人は、常識のない人ですから、会社をやめていただきます。」

と、述べ、さらに、

「就業中の組合活動は、禁止しております。したがって、業務命令には絶対服従してもらいます。組合のいうことはきく必要がありません。」

「労働誓約書を提出しない人は、処分いたします。組合が誓約書を書くことを保留していることは拒否していることで、執行部、特に三役は、責任をとってもらうため処分いたします。」

「これから、身上調査を徹底的にやっていきます。家族、思想とか、いろんな面で、個人面接という形でやります。それは、二時間の人もあれば、五分の人もあります。」

等と、述べた。

(四) 命令書事実欄6(3)(昭和四八年年末一時金交渉をめぐる紛議)カ記載の事実中、一二月一三日ころから山根工場長がサボタージュの証拠保全を理由として守衛に写真撮影を命じたことは当事者間に争いがなく、右事実に、(証拠略)を総合すれば、次の事実が認められ、(証拠略)のうち、右認定に反する部分は措信できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(1) 昭和四八年一二月に入って、富山工場のP2製品の出荷実績が減少した。

(2) 山根工場長は、その原因が組合員ら、特にP2職場の女子組合員らのサボタージュにあると判断し、同月一三日ごろ、守衛猪山石太郎に対し、証拠保全のため、組合員らの就業状況を撮影するよう命じた。

(3) 猪山守衛は、同日、一時間おき位にP2職場を巡回し、そのたびに女子組合員を写真撮影した。その方法は、女子組合員ひとりひとりを、極めて至近距離からフラッシュ撮影するものであった。写真撮影を嫌がった組合員らが席を離れると、猪山守衛は、便所まで組合員らを追いかけて、写真撮影を行なった。

(4) 支部役員が江口労務部長に対し抗議したところ、同部長は、業務上必要な措置であると答えて、右写真撮影を制限しなかった。

(5) そこで、地本及び支部は、原告会社に対し、同月一五日付文書をもって、会社が組合員らに対してした写真撮影について抗議した。

(6) しかし、山根工場長は、その後も、猪山守衛に写真撮影を続けさせた。猪山守衛は、後には写真機に替えて八ミリ撮影機で、組合員の勤務状況を撮影した。

(不当労働行為の成否)

1  柴田取締役の言動について

(一) 柴田取締役が松本執行委員長に対し全金脱退を示唆する発言をしたことは、前記(事実関係)3(一)(7)で認定したとおりである。

右認定の柴田取締役の発言は、労働組合法七条三号所定の労働組合の運営に対する支配介入であり、原告の不当労働行為と解するのが相当である。

(二) ところで、証人柴田及び同松本は、いずれも全金脱退を示唆する発言はなかった旨証言している。

しかしながら、以下の事実を総合すれば、柴田取締役が松本委員長に対し全金脱退を示唆する発言をした事実を充分推認することができるのであって、前示のとおり右認定に反する(証拠略)は措信できない(なお、以下、特に断わらない限り、すでに認定した事実である。)。

(1) 松本と柴田取締役との会談は、事前に支部執行部に諮られることもまた他の組合員に知らされることもなく秘密のうちに行われている。

(2) 松本は、柴田取締役との会談後、次のような行動をとっている。

(ア) 昭和四八年五月二〇日、湯浅執行委員宅において、副委員長一村及び代議員宮崎千代子らに対し、柴田取締役が全金脱退を示唆する旨の発言を行なったと話している。

(イ) 同年六月一日、支部代議員会において、同じく柴田取締役から全金脱退を示唆する旨の発言があったと報告している。

(ウ) (証拠略)によれば、松本は、隣宅の大門五郎地区労事務局次長に対し、会社から全金をぬけろと言われている旨相談した事実が認められる。

(3) さらに、会社は、次のとおり、組合結成及び全金加入を嫌悪していたと認められる。

(ア) 田部井工場長らは、旧労の執行部に対し、組合結成を阻止してほしいと要請している。

(イ) 田部井工場長は、執行委員長に就任した稲村に対し、組合活動を差し控えるべきことを示唆している。

(ウ) 川合部長は、吉田議長に対し、支部の地本脱退を援助してほしい旨依頼している。

(三) また、原告は、柴田取締役が全金脱退を示唆したことはないとしで、種々反論するので、主な反論につき判断する。

(1) 原告は、柴田取締役と松本の会談は、富山工場存続の不安から、松本が申し込んだものであり、会談の内容は、富山工場の将来について話し合ったものであって、全金脱退を示唆した事実はない、と主張する。

なるほど、昭和四八年四月当時従業員の間で富山工場の存続について不安が広がっていたこと、松本が社長又はそれに代わる会社幹部と会いたいと言った事実は、前示のとおり、これを認めることができる。しかし、松本が組合の組織を通じることなく直接会社と接触をもつようになったきっかけは、会社側の働きかけによるものであり、そこには、何らかの会社側の意図があったのではないかと推測されるし、松本が工場存続の不安から会談を申し込んだ事実があるからといって、直ちに柴田取締役との会談内容が、富山工場存続の問題に限られ、全金脱退を含む組合問題が話題にならなかったものということはできず、前記(一)の認定を妨げるものではない。

(2) 原告は、柴田取締役が松本と会談することになったのは、富山工場の存続、とくに機械の移動について最もよく説明できる会社側人間が製造本部長の柴田取締役であったからである、と主張している。

しかしながら、次の事実を総合すれば、柴田取締役は、単なる技術担当の取締役にとどまるものでなく、社長に次ぐ実力者として、労務問題に関与していたと認められるから、原告の右反論も失当である。

(ア) 柴田証言及び弁論の全趣旨によれば、柴田取締役は、昭和二九年に原告会社に入社し、昭和三四年ごろ、三一、二才の若さで取締役に就任し、現在に至っている、と認められる。

(イ) 富山工場の一般従業員は、柴田取締役を副社長と呼び、社長に次ぐ実力者と考えていた。

(ウ) 昭和四七年八月五日、高岡市の大野屋旅館において、会社幹部と第二組合結成を企てる従業員とが会合しているが、柴田取締役は、田中社長とともに、右会合に出席している。

(エ) (証拠略)によれば、柴田取締役は、右会合の翌日ごろ、高岡ホテルにおいて、中野地本委員長、武田地本書記次長らの組合役員と会談しているし、その後本社を訪れた全金幹部とも応対している。

(3) 次に、原告は、伊藤課長は、団体交渉の場では労使の意思が通じないため、生産回復に関する組合側の考えをきこうと、松本宅を訪れたもので、他意はない、と主張する。

しかしながら、会社の課長が、組合の考えをきくのに、組合の組織を通じることなく、執行委員長個人と接触をもつこと自体、極めて異常なことであって、会社に何らかの意図があったのではないかとの疑いを払拭できない。仮に伊藤課長が松本に連絡をとったこと自体に他意はないとしても、そのことから直ちに柴田取締役と松本との会談で全金脱退の話がでなかったものということはできず、前記(一)の認定が妨げられるわけのものではない。

(4) さらに、原告は、松本が、柴田取締役との会談後、全金脱退のための説得行為をとったのは、松本自身の考えに基づくものであり、会社の全金脱退示唆を推測させるものではない、と主張する。

(証拠略)によれば、松本自身が全金の運動方針に批判的立場をとっていた事実を認めることはできる。しかし、松本が湯浅宅及び支部代議員会において柴田取締役から全金脱退の示唆を受けたと発言した事実は、(証拠略)によって充分認めることができるのであって、松本がいかに全金の方針に批判的であったとしても事実をねつ造し虚言を弄してまで全金脱退をはかろうとしたものとは考えられず、同人が単に会社の考えを憶測し松本自身の考えだけに基づいて説得活動を行ったものであるとはとうてい認めることができない。

2  川合総務部長の言動について

(一)(1) 川合総務部長が吉田議長に対し支部の全金脱退について支援を依頼したことは、前記(事実関係)3(二)(4)で認定したとおりである。

(2) 川合敏雄は、昭和四八年六月当時、富山工場の総務部長として、工場長に次ぐ地位にあり、労務関係を担当していた(〈証拠略〉)のであるから、川合総務部長は、会社の利益を代表する者と認められる。

(3) してみると、川合総務部長の前記(1)の言動は、労働組合法七条三号所定の労働組合に対する支配介入に該当し、原告は、右川合部長の言動について、不当労働行為の責任を負うものと解するのが相当である。

(二)(1) 原告は、川合部長は、支部組合の臨時大会において全金脱退決議が成立した旨を聞き及んでいたから、吉田議長に対して全金脱退について援助要請をするはずもないし、また、同部長は、一工場の総務部長にすぎないのであり、手切金といった通常経費以外の支出を決定する権限を有していないから、手切金が必要ならばその用意がある旨発言することはない、と主張する。

(2) しかしながら、前記(事実関係)3(二)(3)及び弁論の全趣旨から認められる川合部長が昭和四八年六月二日午前中に行なわれた全金脱退決議を会社への通知がなかったにもかかわらずこれを知っていたことに照せば、同日午後に地本役員らが富山工場を訪れ、支部執行部に対し全金脱退を再度検討するよう要求していたこと、及び、同日終業後地区労役員らを含めた三者合同会議が工場内の組合事務所において行なわれていたことを、同工場内にいた川合部長は当然認識していたと推認できるし、さらに、前示のように川合部長は、同日午後七時ごろ、吉田議長と地本脱退決議の問題について話し合っている。

右の事実に照らせば、川合部長がわざわざ合同会議から帰る吉田議長に会おうとしたのは、同部長が全金脱退決議の行方に関心を持ち、三者合同会議における結論を尋ねるため、吉田と再度の話し合いを行なうことを意図していたものと認めるのが相当である。

(3) また、川合部長が手切金の支出を決定する権限を有していなかったとしても、その地位に照らし上司に進言してこれを行わせることも可能であると考えられるから、同部長が吉田議長に手切金を会社が代わって払ってもよい旨告げて全金脱退についての支援を依頼した事実の認定を直ちに妨げるものではない。

3  朝礼における江口労務部長の言動について

(一) 江口労務部長の行なった朝礼は、前記(事実関係)5(二)及び(三)で認定したとおり、年末一時金要求について組合と会社が緊張関係にあった時期に、しかも昭和四八年一一月一四日のストライキの直後から、従来は週一回、一〇分程度行なわれていた朝礼を、毎日のように一時間前後に及ぶ長時間の朝礼に変更したものであり、さらに、右朝礼における江口労務部長の発言内容は、前記ストライキにおける組合員の行動を揶揄嘲笑するものであるほか、ことさらガードマン導入を発表し、労働誓約書については、富山工場の約半数の従業員について未提出のまま放置されていたものを、この時期にあえて提出を求めたものであり、また、家族、思想等の内容にわたって個人面接を徹底的に行なうといったものであった。

右のような江口部長の朝礼における言辞は、支部組合員の組合活動を嫌悪し、組合員を威嚇し、不利益に取扱うことを暗示してこれを動揺させる意図のもとに行なわれたものと認めるのが相当であり、組合活動に対する支配介入に該当すると認められる。

(二) 江口勝正は、富山工場における労務担当専任者として労務部長の職にあったのであるから、会社の利益を代表する者と認められる。また、江口部長の前記(一)の言辞は、会社の業務の一環である朝礼においてされたものである。

(三) してみれば、原告は、江口部長が朝礼において行なった前記発言について、不当労働行為の責任を負うものと解するのが相当である。

(四) 原告は、江口部長の朝礼における発言は、当時富山工場において職場の秩序が乱れていたことから、職場規律を回復し管理職と従業員との融和を図るため行なわれたものであって、組合活動に対する支配介入でない旨主張する。

なるほど、当時の富山工場では、職場秩序が乱れていたとの事実が窺われる。しかしながら、江口部長の行なった朝礼は、その回数、時間及びその内容にかんがみれば、職場規律回復の方法として相当と認められる範囲を超え、同部長の発言は、朝礼に名をかりて、組合員に対し、威嚇及び不利益取扱を暗示したものと認めざるをえない。

4  守衛による写真撮影について

(一) 猪山守衛の写真撮影の方法は、前記(事実関係)5(四)で認定したとおり、女子組合員を再三至近距離からフラッシュを用いて撮影し、さらにこれを嫌った組合員を便所まで追いかけるといったものであり、証拠保全の方法として相当な範囲を超えたものと認められるから、右写真撮影は、証拠保全の名のもとに組合員に対する嫌がらせを行なったものと認めざるをえない。そして、前示のとおり、写真撮影が行なわれた時期は、組合と会社が年末一時金について交渉中であり、会社が、昭和四八年一一月に組合の実施したストライキに対抗して労務管理を強化している状況にあったことに照らせば、猪山守衛の右写真撮影は、支部組合員を動揺させることによって、組合の活動に影響を及ぼそうとしたものと認めるのが相当である。

(二) 前記(事実関係)5(四)で認定のとおり、猪山守衛は山根工場長の指示に基づき写真撮影を行なっているものであり、山根工場長は、支部から抗議があったにもかかわらず、写真撮影を止めることなく、猪山守衛に写真撮影を継続させている事実に照らせば、山根工場長は、猪山守衛の前記のような撮影方法を容認していたものと認めざるをえない。

(三) してみれば、原告会社は、山根工場長が猪山守衛に写真撮影を命じ、その撮影方法を容認したことにつき、支配介入としての不当労働行為の責めを負うものと解するのが相当である。

5  団体交渉時の賃金カットに関する協約締結について

(一) 前記(事実関係)4(二)で認定のとおり、会社は、新労との間で、組合との間の労働協約にない、就業時間中の団体交渉について賃金カットを行なわない旨の条項を含んだ労働協約を締結し、また、組合が会社に対し新労と同一内容の労働協約締結を申し入れたのに、会社はこれを拒否している。

右のように新労との間で有利な協約を結び組合からの同一協約締結の申入れを拒否することは、特段の事情の認められない本件においては、組合を新労に比べ不利益に取扱い、組合の活動を弱体化する支配介入行為であると認めざるをえない。

してみれば、原告会社は、団交時の賃金カットをめぐる労働協約締結について、不当労働行為の責任を負うものと解するのが相当である。

(二) 原告は、新労と組合との間で協約の内容に差を生じたのは、山根工場長が新労との協定文を熟読しなかったためであるし、また、新労とは就業時間中には団体交渉を行なわないなど、就業時間中の団体交渉について賃金カットしない旨の条項を適用する事態を避けてきたから、組合を差別的に取扱ったことにはならない旨主張している。

しかしながら、労働協約の締結について工場長が内容を検討しなかったとはとうてい考えられないし(原告の主張にそう〈証拠略〉は信用できない。)、また、実際には団体交渉に関する賃金カットをしない旨の条項を適用しなかったとしても、複数の組合が併存する状況のもとで、会社が新労に有利な労働協約を締結し、組合からの協約締結の申入れを拒否したことそれ自体が、現実に賃金カットをしたか否かにかかわらず、労働協約締結について組合を不利益に取扱ったものといわなければならない。

四  結論

以上のとおり、会社の前記各行為は、いずれも労働組合法七条三号所定の不当労働行為であって、被告がこれと同一の判断のもとに本件命令を発したのは適法であり、これを取消すべき事由は存しない。

よって、本件命令の取消しを求める原告の本訴請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九四条後段を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 越山安久 裁判官 小林正明 裁判官 三村量一)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例